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movie
スギアヤヒコ
2024.6.13
ある昼下がり、アッパーとフックとダッキングコンビをひたすら打ちながらそれは降ってきた。
バースデーって明るくハッピーな作品で溢れる素晴らしいイベントだよね。でも自分、ほんとは暗い曲の方が得意というか、好きなんだよな
…ダメなのか?この日だけはちゃんと空気読まなきゃダメなのか?!
そう、例えるならスイパラで甘いものたらふく食べてそこにポテトやカレーがあるように
こんなのも、一つくらいあってもいいんじゃないか?
パンチを打った後に勢いで打ち込みました。
多分バッハ先生が生きて聴いたら怒り狂うかあきれ果てるかのバロック音楽を意識した自称”問題”作です。
けど、どんな曲調であれ作風であれ、愛していなければそもそも見向きもしないし使いもしない、
彼らを選びもしない、と僕は思うのです。
色んな家に色んなぞらがいて。おうちに居なくても個人が大切にしている概念がそれぞれあって。
みんな違ってみんないい、というよりみんなと違っても、個々の中にいる彼らはその主さんにとって必要だから、
大切だから存在しているのであって。
明るい作品だけが祝福の意味を持つわけじゃないよ、どんな作品も愛がなければ生まれないよ。
そうじゃなきゃ必死に締め切りに間に合わせてイベントに出そう!残そう!なんて思わないでしょう。
そんな想いも込めつつ、Aメロとかサビとかフル無視した4分の11拍子というロックにノれもしない、ワルツにもなりきれない曲を
3人ならではの掛け合いでBaroque(バロック様式と歪みの意味)とQuenchless(消すことができない・抑制できない)
を掛け合わせた”自分の曲”を歌いあげてもらいました。
そしてたまたま曲を聴いてもらって気に入っていただいた柳楽やぎおさんを通り魔の如く攫い、イラストを提供していただきました。
本当にありがとうございました。
”好き”を惜しみなくさらけ出すと、こんな出会いもあるものです。
全体図もイラストのこだわりも是非、ご覧になってくださいね。
もし、自分の作風はお祝いには向かないとか 明るいものが創れないとか
そんなつまんない悩みを持ってる方も、次回参加しやすくなるきっかけにもなれれば嬉しいなぁと思います。
こうして誰かの中でその人のカタチで、ずっとZOLA Projectが愛されますように。
"BaroQuenchless"
作詞作曲:スギアヤヒコ
イラスト:柳楽やぎお
「誕生日には明るい祝いの歌を」
なんていうか暗黙の同調圧力?
ならこの歌は 生き方は「可哀想」とか思うの?
そんなつまんない量産型なんて
こちらから願い下げさ
他の奴らに任せていい
「居なくてもいいな」
「居なくなくなりたい」とかの
望んでもない忌まわしい感情を
口にしていけないのならば
ならば問いかけよう
僕たちは
居てはいけないのか?
祝福されざる者か?
愛されてはいないのか?
愛されてはいけないのか?
世界にいる僕の数
全部笑顔の仮面で踊ったら
満足かい?
どうなんだい? ねえ ”創造主”?
怒りも悲しみも嫉妬も
持ってて当たり前
え、あなたは違うの?
それなら呑気に歌えばいい
息継ぎも忘れるほど
メジャーすぎるHappyHappy song
Lonly Lonly minor sound
お構いなく、もう遠慮はしない
指揮者は不在 自由でいいよ
世界が僕に合わせてくれよ
ああ生きたくないよ でも愛されたいよ
なんて素晴らしい地獄だろう!
なんて都合よくてもいいでしょ?
これでいい そうでなきゃ報われないでしょう?
僕だけのカタチを否定する声なんて
要らないはずなのに
目につくせいで
これでいいと押し通しもせずに
好きに踊れないなんて
なんて言い訳もいいところ
自分を殺してまで
自分の望む愛を創れるか
それが幸せか?
なら苦しみを代わりに 一緒に
歌えるのは誰か?
望まれずに生まれることなんてない
望まずに生きてるとしても
誰かが覚えてる限り 必要とするから
その証明 続いてゆく歌声
愛がなければどんなカタチも存在しない
人の顔色も反応数も関係ない
うるさい!
要らないはずなのに目につく
でもこれが僕だよ
ねえ 貴方は違うの?
それなら改めて問いかけよう
僕らは不幸に見える?
隠してないだけの自我
これこそが
ひとつの武器
唯一無二
「誕生日には明るい祝いの歌を」
なんていうか暗黙の同調圧力?
でもこの歌も生き方も
必要だと愛されてると
そんな結果だから
居てもいいでしょ?
消えられない
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